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サイドジョブ_罪人でカーチェイス後にビルが射殺される前に攻撃を開始すればクエスト目標がヨシュアの無力化になるので車内にいるヨシュアを殺せば胸糞ストーリーを進めずに殺害できます。
ただ、いろいろ試しましたがビルがバスケスに射殺されるのは避けられない模様。
百万近いダメージ出るネコマタで先制してもバスケスは耐えるのでビルが射殺されるまではダメージが入らない仕様なのかも。
サイドジョブ_罪人で車外にヨシュア出てきた際に武器出しすれば路上でも殺害できる
少し待てばレイチェルも車のドアを開けるので攻撃できる(車内で死亡しているようだが死亡モーションにならず)
バスケスは体の損壊をするのにもかかわらずヨシュアは斬っても爆破しても損壊しない謎仕様
バスケスとビルは抱える判定が出るがヨシュアは抱える判定も出ない
ちなみにビルの遺体は通常の抱えるモーションではなく救出時の抱えるモーションになる
また、以後のヨシュア関連のクエストは殺害しようとしても武器出し判定自体が露骨にカットされる
彼を殺した場合は、ワカコから報酬はしっかり支払われる。
逆に殺さずにヨシュアとの会話で彼らとの同行を拒否した場合は、ヨシュアを殺害するという本来の依頼が完遂されないため報酬は支払われない。
依頼人のビルは死んでしまっているので、依頼金全額がワカコの懐に入っているのだろう。
死刑判決を受けているはずなのだが、犯罪歴が無くなっている。
ちなみに彼の自己満足的な末期の際にはスクリーンショットなども撮れなくなっている。まあいろいろとアレな場面でもあるし向こうだと盛大にアウトというかデリケートな具合だから仕方がないかもしれないが。
謝ったら許してもらえると思ったのに、と自分が殺した男の母に思うのがすごい
宗教観の違いだろうか
一週目で最後まで付き合ってなんだこいつ…となり、次から最初の段階で始末するようになったVは多いのではないだろうか。
よく考えるとこの男個人の満足は被害者の関係者からすれば壮大な自己陶酔というか。
娘と話をしてて許してもらえる等考えたらしいので、娘に兄妹の復讐で誘導されたとおもってます。
自分の犯した罪を本気で後悔し、その罪による死を心の底から恐れながら、それでも自らの死の体験を共有するという方法で、人身が荒廃しきった2077年に生きる人々に神の救済を説こうとしている。
所詮自己満足の公開オ○ニー野郎といったらそれまでだが、あの反逆主義のジョニーでさえ自分なりの宗教観を持っているぐらい、キリスト教圏では「神の実存」は真剣に議論され得るテーマであり、軽々に片付けるのはよろしくない。
少なくとも自身の行いに対する懺悔と被害者遺族に対する贖罪の気持ちは本物であり、拭いきれない恐怖を捨てられなくとも、神のために命を捧げる覚悟を持って磔刑に臨んだのは事実である。
そしてブレインダンスには当人の感覚や感情が載るので、ヨシュアが死ぬまで抱き続けた信仰心が、神の死んだ世界で少なからず影響を及ぼすであろうことは想像に難くないだろう。
まぁ、当人も気付いていないが、その目的は徹頭徹尾「(人々の救済を経て)自分が赦され救われること」なので、そういう意味ではクソ野郎のままともいえる(個人的にキリスト教の聖人の殆どは自己の救済のために殉教していないと思うので)。
もしあなたが初見でヨシュアの望む最期を見届けられたのであれば、2週目以降はビルが撃たれた時点で話聞く前に始末した方が後腐れなくて簡単である。レイチェルとバスケスを巻き込むかは任意で。
考察すると中々面白い人物だけどジョブの面倒さと宗教観の違いから流されがちだと思う
捕まる前は好き勝手ケダモノとして生きて、いざ捕まったら悲劇の主人公どころか救世主を自称する面の皮の厚さ。
コイツの常軌を逸した自己中と自己愛が絶頂に達したであろう瞬間の感覚が、信仰の文脈付きでBD共有されると思うと怖えぇ…ってなる。
せめて否定的選択肢を選んでBD台無しにしないと……
殺人犯を変な方向に目覚めさせる宗教の影響力も何気に恐ろしい
彼を宗教キ〇ガイと見下す人がいるなら、BDは人の感情をも記録するという事実に注意すべき
彼が宗教的な懺悔と法悦に満ちて苦しみを受け入れ死んでいく姿がBDに記録されるのなら、それは十分BDを視聴する人々に彼が望む方向へと霊的な変化を起こし得る。人間性(ゲームの中での能力でもあり、重要なテーマでもある)を失っていく多くの人々が人間性を回復するきっかけにもなり得るはず。
何かと重いサイドジョブ
ヨシュアって名前自体ヘブライ語のイエスの意味になる
また作成されるBDと似たようなコンセプト(キリスト本人の受難から磔刑に至るまで)の映画が実在、見た人間がショックで心臓発作を起こして死亡といった実話などもこのキャラを取り巻くトリビアになる気がする
昔から宗教や信仰心はさまざまな理由で荒んだ人の心の拠り所の一つであったから、ヨシュアのようなこともままあることではある。
古くで言えば平安末期の熊谷直実は平安合戦で自分の息子ぐらいの年齢を戦とはいえ殺害したことに対する戦の無情さ、世の無常さを儚んで出家し、熱心な仏教徒として後世を生きた。
この熊谷の出家に、あたら若い命を徒に奪うことになった自分の罪を償いたい心持ちがなかったとはいえないだろう。戦国武将に熱心な仏教徒やキリスト教徒になった例が少なくないのはこの点も一つの理由である。
基本的に荒んだ心を一人だけでその荒みに気づき癒すというのは相当難しく、そういった説明しづらい苦悩(生老病死とか人生における悩みとかは特に)を癒して立ち直らせる手段として宗教が生まれている。
ヨシュアの事例のように(周囲がどう思うかとか、BD回りの是非はともかく)、罪を犯した無頼な人物が自ら贖罪を臨む心持ちにさせたことは宗教の役割の一つであるし、それを人々に伝道したいという気持ちが生まれるのも自然ではあるといえる。
ちなみに正史の吾妻鏡によれば熊谷直実は宗教的な悟りを開いたっていうよりはPTSDの発作に近い乱暴な症状を何度か見せた後突然出奔し、それを見た主君の源頼朝の度肝を抜いている。
騎士みたいな中世の人物にもPTSDが発症した例はチラホラ見えるらしいが、戦場の出来事とは言え自分が殺めた息子みたいな若者を思いずっと苦しんだのだろう。
元々信者だし、比喩がちょうど的を射ているのでゲームとは思えず涙が出そうになった
あのジョニーさえ「なら彼にも二人の強盗が必要だ。盗人とテロリストな」とか言ってて、彼の刑では聖書を正確に引用したり彼の遺体の前で黙祷してたりする
余談ではあるんだが海外(主にキリスト教圏である北米や欧州)では日本人の「神はいるとは思うが信仰はしていない」という曖昧な部分を理解出来ないケースが多々ある。
この手の話題になった時に「信仰者」か「無神論者」にキッパリと枝分かれする様だ。
彼のミッションではVが「人知を超えた力というのは存在すると思うが現状それを証明する手段はない」というその極めて曖昧な部分の選択肢を取る事ができる。
ロールプレイをする際も自己投影プレイをする際も意識して選んでみてほしい。
BD会社はこの男を大儲けのスターとして利用しているが実際はどうだろうか
BD界を通して世界の心をワンチャン変えさせ得る一石を投じた男でもある、その様は逆にBD会社を利用しているのではないだろうか(本人はVに言われるまで無自覚そうだが)
無常なサイバーパンク世界にV達とはまったく別のアプローチをする存在なので一連を未体験のVは一度は見て欲しい
勿論ヨシュアが殺人犯という事を忘れずに
に留まらず くらいにまで数分程は考察を広げて考えて見て欲しいジョブ罪と向き合う事(自身を悪人と認める事)から言葉通りに"死ぬ程"逃げた、殺人の動機からも分かる通り精神病質的にプライドの高い男の中に、真っ当な"信仰心"なんてもんがあったか疑問だけどな。
むしろそのおぞましいメンタルが、BDや事前の騒動で人々の失われた"信仰心"って隙間にすっぽり入り込みかねない、まさにマタイによる福音書で語られる所の"終末に現れて人々を惑わす偽のキリスト"を描いたのがコイツなんじゃねえの?
こいつ本人の資質は反省してるフリが上手にできれば死刑も無くなるかも!的なよくある(らしい)死刑囚メンタルだろうからまぁ別に凄い人物だ!とはならなかった
それよりもそのポーズの一環で接触してきただろう相手に、死ぬことで信仰と救いを人々に取り戻せる!って方向にある種の洗脳を施せた信心深い娘の方にヤバさを感じる
ヨシュアは劇中で見る限り悔いたから死刑無くしてくれとは言ってないでしょ、一連ジョブ連中には懺悔のままに死ぬ時の心をBDで共有したいっていう欲は大小あるかもだけど…
しかし劇中一度も描画されてないフリ、ポーズ、洗脳と言ってしまう辺り???と思うぞ
それとも公式で明言されてたの?公式設定ガイドブック持ってないから教えてほしいな
このモヤモヤ感、ジョージ・フロイドの事件みたい。
ん?俺の持ってるサイバーパンクと違うゲームの話?
死刑免れたいやつがなんで自害させてくれって説得してくるんだよ……。娘もそんな事やめろって言ってたろ?
動画配信か何かで断片的に見たんなら実際にプレイしてみるといい。その時は今度こそお前の考えを聞かせてくれ。
俺も最初はそう思ったけど、普通にコイツはその宗教に汚染きれた側だと思うぞ
最後まで命乞いの類いをしなかったのがその証拠だし
そういう輩は最期の最後には命乞いするから
妹との手紙などのやり取りで自分の死刑をBD化する事を思いついたらしい。
妹はそれを止めているが、話は平行線だと自宅での更なる議論は止めている状態。
この状態を妹の洗脳、と考えてるのが>31なのかな?
兄を殺した憎いヨシュアが死に向かおうとするのを止めないだけだとは思うよ。
BDの出演料、この親子にも賠償金で入るとかなら話は違ってくるとは思うけど、そんな記述ないし。
いや実際にプレイしてるし最後まで見届けたよ
ヨシュアはナイトシティにどこにでもいるクズで、目が合って不快だったら殺すのが当然だと思ってて、結局捕まって死刑が宣告されて、獄中で被害者の妹からの手紙で信仰に目覚めて、人々に信仰さえあれば自分みたいな人間が産まれる事はないと本気で思い込んで、それを広める手段として自殺BDで自分が目覚めた信仰心を体験させる事を思い付いた男
流れを見ても罪の意識を持ってほしい被害者の妹とこれを金にしたいヨイショBDプロデューサーで少なくとも1度、おそらくは2度思考汚染されてるじゃねぇかコイツ
彼に救世主を見出すくらいなら俺はメイルストロームに改造された修行僧兄を拝むね
俺が言いたいのはこいつが新たな聖人であるって意見を肯定するにはあまりにハリボテでインスタントすぎるなって事
自分は信仰を持つ人間の良し悪しの見分け方って、ザックリ言うと答えを与える人間か気付きを促す人間かだと思ってて、答えを与えるのは大体善意の詐欺師側だと思ってる
その考えの上で判断すると、BDで信仰と意識をばら撒くこいつは正しき信仰なんて持ってないし、自分の死をドラマチックに演出することで死に直面することから目を逸らした凡人でしかないって結論を俺は下したってだけ
俺は反省したから自殺する人間は居ないと思ってて、苦しいから、逃げたいから自殺するんだと思ってる
ヨシュアは反省と信仰が混ざり合って産まれた奇人だってだけだってね
“ こいつ本人の資質は反省してるフリが上手にできれば死刑も無くなるかも!的なよくある(らしい)死刑囚メンタルだろうから”
ここなかったことにしてて草
突っ込まれてたのはここだろうに
彼が磔になって死んだ後、死体をスキャンすると犯罪歴なし、所属不明と表示される。
彼は赦されたのか。許されたのか。
ジョニーを演じるキアヌ・リーブス主演の映画に『コンスタンティン』という作品がある。主人公は過去に自殺を図ったために地獄行きが確定してしまうが、物語のクライマックスで自己犠牲によって罪が自殺の許され天国へ登ろうとするシーンがある。
ヨシュアは自らを許してもらいたいのではなく、人間性を失った世界の目を覚まさせる為に磔になったのだとしたら、それは自己犠牲となり、彼は神に許され天国へ行くことになる。
個人的にこのゲームのメインのテーマにド直球で向き合ってると思ったのがこいつのサイドジョブ。
というのは、こいつ自身への賛否はおいといて、メインストーリーでVが突然友人の理不尽な死に遭遇した上、自分も一度死んで蘇ったり頭の中に死人がいたりすることからわかるように本作が「死」をテーマに据えている作品であるからだ。
自らの命のリミットに向き合わされるVの葛藤というメインストーリーの文脈がある中で、文化による宗教観の違いを体験できるという意味でもなかなか他のゲームに無いものがあると思う。
そもそも宗教とは人類が避けられない死の恐怖や苦しみの意味や答えを求めて作り出したものだから、ジャッキーのオフレンダと並んで「死」ってなんなんだろうね、と考えさせる、ものすごく力の入ったサイドジョブだと個人的には思った。
完全に個人的な考えだけど、あのジョニーですら磔にされたこいつを前にしてふざけた態度を取らなかったのは、ジョニーもまた死者であり、「死」に対して思うところがある人間だからなのかなとも。
とはいえ、これは日本人である我々だから思うことだろうけど、折角ナイトシティはキリスト教も仏教も神道もある宗教的坩堝なのだから、これくらい力の入った死生観や宗教観を体験させるエピソードが他宗教的にも用意されていたらより公平な目線で見れたのかなとも思う。
BD禅僧やクローム僧侶も内容的に悪くはないんだけども、やっぱりこいつのサイドジョブと比べると体験としてめちゃめちゃめちゃ薄味だし。
神社が殆ど観光地みたいなもん(しかも忍び込む)なのもアレだけどまあ…海外の人からすると神道って多分一番よくわからないだろうしなあ…。
バナナマンの設楽さんにしか見えず、重いテーマのはずが全く頭に入ってこない
どう頑張ってもビル・シャブロンスキーを救えないのに開発の悪意を感じる
イカれたカルトハマり死刑囚を使って一儲けしてやろうと企む連中にパシられるポリ公に撃ち殺されるオチのむなしさよ
ヨシュア自身は撃ったポリ公を引き止めてたし、ビルに大人しく殺されてくれたかもしれないというのにね
彼のことを「ただの胸糞野郎」という風にしか解釈できてない素朴な人たちが多くて驚いた。自分は彼の生き方(死に方)に感銘を受けたし、感動的であるとすら思ったが…
まあ読解力の程度は人それぞれだしな。
まぁ感じ方は人それぞれでしょうね
ヨシュアみたいに目つきが気に食わなかい相手を撃ったり殴ったりしなければどう思っててもいいと思いますよ
ヨシュアとのサイドジョブでは死とキリスト教における宗教観をモチーフに様々なテーマを投げかける。
死は救済なのか?それは罪深いナイトシティの人々を許される程のモノなのか?盲目的に神の教えに従えばヨシュアのような死刑囚であっても許されるべきなのか?
レイチェルのように死を売り物にするのは許されるのか?死が日常と化し、娯楽にすらなるえるナイトシティであって禁忌に近い行為をBDにするのは最も罪深いのでは?
結末はV(プレイヤー)に委ねられる。
自分を救世主か何かと勘違いしたサイコを余計な手間を掛けずあの世に送ってやってもいいし、一種の神聖さを感じたならばロンギヌスのように介錯を務めてもいい。
彼が何者だったのかはプレイヤー次第なのだ。
彼の行為を贖罪と見做すとしても
少なくとも被害者や遺族に対する贖罪ではなく神に対する贖罪なんだよな。
日本人の宗教観的に受け入れがたいという人が多いのはそこが根源的な原因かと。
目付きが気に入らなかったと言うだけで勝手に1人の人生を終わらせた癖に、自分は望んだ死に方をしたいってのは虫が良すぎるんじゃないかとモヤモヤした
これが宗教観の違いってやつなのか?俺がキリスト信者だったら理解出来るものなのかな
自分的にはペラいお話かな
キリスト教の名を借りて大きく見せているだけの
強いて価値を見出すなら、殉教も利他も贖罪もそれって結局、自己満足じゃないんですか? という問いかけ
それもこれもおんなじでしょ? という乱暴な皮肉
きれいはきたない、きたないはきれい
色々言われているが、少なくともここであれこれ言っている人を見ると、あれこれ話すだけの価値のあるストーリーだったし、人によってさまざま感じるところのある話だったのではないだろうかと思う。ここであれこれ話してるのが証左ではないだろうか。
感じ入るところのある人も居たし、最初からこんなクズ殺すべきだ、という人も居たし、ペラい話だった、という人も、台無しにしてやれ、という人も、金をせしめてやればよい、という人も居た。それでいい気はする。
この件で金貰うなら赤髪メガネ女からもらうのが一番だぜグヘヘ
彼のコメントが伸びている一因は、彼の登場する依頼で、本懐通り磔刑にするか、Vにあっさり殺されるかの2通りしか選べないのが原因だろうか、好き勝手やった報いを受けるルートが無いのがモヤモヤする
磔刑になる直前でスカベンジャーに売り渡し、エヴリンみたく裏BDに出させ、キリスト教の禁忌である火あぶり刑にするまでを記録した裏BDがバカ売れしたみたいなルートが有ったら実にナイトシティらしかったのにと思う
とても多様な意見があって考察しがいがあるクエストラインなのは十分承知してるけど、個人的にはせっかく“サイバーパンク”ってタイトルを冠してるんだから、もっと暗黒メガコーポとの戦い的なビッグなクエストをこのミッションの代わりに作って欲しかった
思想を伝える方法は「表現」である
ジョニーのように過激で犠牲を伴う手段もあれば
ジョシアのように創作物を通じて伝える手段もある
ただ、ジョニーは奇しくもバンドマンとして同じく創作者の道を通った身であり
かつ奇しくもジョニーが嫌っていたコーポの拝金主義をもジョシアは自覚せずとも利用し
最期まで自分の思想を世間に広めることに殉じた
ジョニーの聖書引用、死後の黙祷は
同じ創作者としての矜持と、珍しく他者の純粋な尊重が見て取れる意外な一幕だった
まあそれはそれとして
のルートが一番似合う人間だと思うよコイツは
西洋の犯罪者は収監されることで己の罪を初めて理解し、向き合うケースも少なく無い。
そこで救いを求めるのが家族であったり、キリスト教だったりする。
どんな罪人でも救いを求めるなら赦されるべき、赦すべきであるというスタンスがキリスト教にはある。聖書に書いてあるし、そうあるべきというスタンスは社会にある為、ヨシュアのようにどんな罪でも許されるべきだと解釈する人物もいる。
ただ、罪人を許すような心の広さを求め推奨するものであり、絶対に許さんとアカンとは書いてない。
ヨシュアのような、或いは西洋的な0か100しか無いような拡大解釈、偏った考えに一つ疑問を投げかける描写だったんだろうと考えた。
キリスト教の罪と赦しは日本仏教の悟りのような根源的テーマで、解釈が人によって違う面もあり正直難解なジョブだと思ったっす。
草
報酬だけ考えるならそれが最適解だから……
このジョブで驚いたのは、Vが平然と聖書の内容を諳んじたり受け答えしてるところだった。
開発元のポーランドは熱心なカトリックの国で9割近く信者だって話だし、一般教養として当たり前でVも知らないはずが無いって感覚なんだろうか?
無神論者が多そうなナイトシティだが、どのギャングも宗教や己のルーツを大切にしてるっていうのが味わい深い。
なんも気にせずに追いかけて停まった時にさっさと始末した後にここを見て困惑してるのは俺なんだよね…
二週目やる時に気が向いたらやってみると面白いよ
貰えないエディ程の価値があるかと言われると無いが
何回かやったけどまぁなんだ終始「?」が出てた
ヨシュアの死に対して感じるものがなかったわけじゃないけど、死刑囚が命を差し出した程度で成し遂げることが大したものであってほしくない。
命懸けで生きてるナイトシティの人々が、ヨシュアの崇高な理念なんぞに啓蒙される謂れはないし、彼らの精神が劣っているとも感じない。たとえ悪党であっても。
俺のVはそう思いました。
見てみろ宗教家様だ
感動的だといった口で聖なる罵倒を吐きやがる
どうやら隣人は愛せないようだな
自分と意見が異なるのを読解力が足りないせいだと決めつけてはいけない(戒め)
ヨシュアの行為に憤りを感じる人ほど彼の術中にハマっていると言わざるを得ない。
何故ならそれこそが彼の目的なのだから。
分からない?
ならもう少し呑み足そう。
許してくれないかな、チラッみたいな態度をとったヨシュアに眉をひそめたし、恐らく本物であろう信仰心を利用して設けようとしか考えてないレイチェル達の態度も気分が悪かった。
ヨシュアから頼まれた以上、最後の時まで側に居たけど、自分としては依頼の全てが胸糞に感じたから次受けるかはちょっと考えてしまうな。
要約すると「理由なく人を殺しておいて勝手に宗教に目覚めただけのクズ」
という風に感じたプレイヤーが多いようだが……主人公たるVを操作するそのプレイヤーは、Vを通して一体何人殺してるのだろうか?
え? 「相手は殺されて当然のことをしてる奴ばかりだ」って?
本来は理由があれば殺していいというものでもないはずだ。
多くのギャングやコーポという「悪人」を、依頼を通して多種多様な方法で殺してるVだが、彼らを救う価値のない純度100パーの畜生であると決めてるのは、結局のところV、或いは中身のプレイヤーの主観でしかない。
人の命の価値すら天と地程の格差をつけられるNCの中で、「善悪に対する真っ当な価値観」なんてものを持ったまま成長できる事の方が稀であり、ましてそのまま生きる事ができるならも最早奇跡だろう。
戦うギャングの中には、カタギの家族の身を案じたり、純粋に誰かを愛している描写が見られることもある。他の「悪人」らしい人々も、Vやフィクサー、依頼人の知らないところで、本当は人間らしい葛藤や苦悩、自分ではどうすることもできない事情があっても何らおかしくはない。
しかしVは殺している。当然のように。そういったそれぞれの現実を理解した上で割り切ってるのか、それとも考えもせずなのかは、プレイヤーの解釈次第だろうが……Vが「何のために」その殺しを実行するかという「理由」を突き詰めれば、ぶっちゃけエディー、金である。傭兵であるため当然とも言えるが、つまりは「人の命や生き死にを金にしている」わけだ(似たようなことを理由に胸糞と評されるBDプロデューサーが居たな)
何れにせよ、人殺しという意味ではヨシュアもVも同じ穴の狢であり、その内容がどれだけ酷いか、マシか、なんて話はゲロがクソに汚いと罵るようなものだと感じる。
確かなことは、ヨシュアは理由がなんであれ、自分の行いが悪であったことに気付き、後悔し、彼なりに償おうと考え、結果自らの命をもって人々が自分と同じ過ちを繰り返さないことを願い死んだ。
そしてそんな彼の死後も、Vは様々な依頼やアラサカとの決着を理由に、人を殺す。伝説になるという夢のために、友の仇を討つために、自分が生き残るために。
そのための足がかりと軍資金のために、どんな友人や家族がいるのかも、どんな人生を送ってきたのかも、多くは名前すらも知らないままの相手の眉間を打ち抜くのだ。人から伝え聞いた限られた情報と、状況証拠的に判断した、「悪人」というレッテル越しに。
ヨシュアをただのクズ呼ばわりするからにはせめてターゲット分析を外さない完全不殺主義Vであって欲しいものだ。
正直製作者側の意図が透けて見える感じがして嫌なミッションだった
ジョシュア周りがなんか妙にゲームシステムに守られているというか、神聖視させたがっているというか
例えばVが上手く口車に乗せてジョシュアが死ぬ事を止めるルートとか、最後の死に様にクソを塗りたくるようなルートとかがあれば、その中の一つのルートとして受け入れられただろうが
キリストが救世主たる所以は無実の身でありながら全ての人類の罪を背負い、磔になったことである。
その観点で言えばヨシュアが磔になるのは、ただの見世物の処刑でしかなく、そこに神秘や救世は一切介在しないと私は感じた。
信仰心に目覚め、自身の罪を自覚し、赦しを乞う。それ自体は望ましいものだと思うが、烏滸がましくも救世主になろうとした時点で彼の正当性は消え去った。
結局のところ、彼は救世主でもなければ哀れな罪人でもない。ナイトシティにクソほど有り触れている、誇大妄想を拗らせたイカれクソ野郎でしかないのだ。
プレイヤーがゲーム内で行う殺人とヨシュアの殺人を同列に扱うのは無理があると思う。
ヨシュアの殺人は否定されVの殺人は肯定されるとかそういう話でなく、現実世界で生きるプレイヤーのゲーム内での殺人行為とゲーム世界で生きるヨシュアのゲーム内での殺人行為は明確に区別されるものだろう。
そもそも、ヨシュア関連のクエストがプレイヤーの殺人プレイに疑問を投げかける、または責め立てるような意図を含んでいるかと言われると甚だ疑問だ。
上での論争を読んでみるとわかる通り、一連のクエストは殺人という行為ではなく、贖罪の在り方に焦点を置いたもののように思える。
プレイヤーもゲーム内で殺人をしているのだから、ヨシュアの過去の罪にとやかく言うな!という論調は筋違いの暴論ではないだろうか?
彼は救世主になりたい欲望があるんじゃなく救世主に平服して死を受け入れた心境を広める欲望があるだけとミッションでは見えるな
まあ本当の救世主も過去では神殿で暴力事件起こしてたりキレイキレイな経歴ではないし、この一連ミッションをどう受け取るかはプレイヤーの自由と言った所か
と、言うかこのスレッドがここまで伸びている時点でヨシュア(と一味)の目論見は半分以上達成しているだろう
彼らの望みはナイトシティに議論の嵐を巻き起こす事も目的内なので、このような論争が起こる事、ソレ事態が彼らにとって望ましい未来と言える
で誤解を招く言い回しをしてたので、一応訂正と補足を。
まず前提として「ヨシュアクエストにプレイヤーのゲーム内での殺人を責める意図がある」「ゲーム内で殺人を繰り返すプレイヤーはヨシュアの罪を責める資格はない」といった主張をしたつもりは全然ない。そもそも自分は『V』と『プレイヤー』を同一視してはいない(そうでなかったら先の意見も現実とゲーム世界の区別ができてないサイバーサイコ案件って事に…)
とはいえ全く繋がりや関連が無いとも思っていない。ヨシュアのクエストに限っても、最終的な結末を左右することはできずとも、途中途中の選択肢でヨシュアに否定的な言葉をかけるのも、寄り添うのも、はたまたクエストが発生する前にヨシュアを始末するといった行動も、決められた中での範囲ではあるがいくつかはプレイヤーの意思に委ねられており、完全に独立したVというNPCの行動を眺める一本道でないのは確かだ。
で、それらの選択の理由が、「プレイヤーの自分の意思はともかく、うちのコーポVはこう言うよなぁ」等のロールプレイの一環としてのものであれば、完全にVとプレイヤーは分けて考えるべきだろうが、「プレイヤーの自分がヨシュアの言動や思想が不快だったから」となれば、これはプレイヤーの現実の思想や感情が影響している事になる。ゲーム内のキャラのゲーム内の行動に対して、現実における価値観が反応した結果の選択だ。この時点でVとプレイヤーを、『同一』ではまったくないにしても、『完全な別物』とは言えなくなると思う。架空の世界の架空の人物による、架空の殺人事件と架空の贖罪。全部架空だ。その架空に対し、我々プレイヤーがここまで論争してるのは、その架空の中にある『リアルさ』を感じ取ったからなわけで、リアルを感じたからリアルな感情が生まれ、ゲーム中の行動を決めているのではないのか。とすれば、ゲーム中のものと言えど、その行動にはある程度の『リアル』が含まれているはずだ。ここで散見される「ヨシュア=ただのクズ」等の意見はリアルそのものだろう(ゲーム中の出来事だから適当になんとなく思っただけの事を適当に言ってるだけであるなら寧ろその方がいいのだが)
またも長文になって申し訳ないが、結局何が言いたいかと言うと、ヨシュアは許されるべきかだとか、プレイヤーも同じ事してるのにとかそういう話ではなく、『罪と贖罪がテーマの話』に対する反応で、罪への向き合い方、贖罪の仕方が不愉快で間違っていると思った現実の人間が、最終的に「『結局』こいつは自分に酔っただけのイカレ殺人犯だ」と、リアルな感情の元に、その人物の今の在り方や存在そのものを否定する結論で終わってるのが、無常というか、残酷さを感じるなと、単にそういう話。
後は、プレイヤーとVを分けて考えるにしても、ヨシュアをクズとした場合にVというキャラクターはクズには当てはまらないのか? という意味もあった。
そんな難しい話じゃない。
気に入らない奴はリストの一番上から順に始末する。
こいつは偶然にもそのリストの一番上に躍り出ただけだ。
気に入らないやつを殺すクズが気に入らない奴を殺すクズに殺されるだけの話。
まぁキリスト教全般ではないが、一部に積極的に凶悪犯とか死刑囚は布教してるやつらいるしね。
そういうのも、揶揄してる部分もあるシナリオだと思う。
日本でも怪しいヤクザが改宗して体裁で怪しい人権屋になって、さらに逮捕された事例とかあるしな・・・
そういう層を狙う
プレイヤーとVを切り分けてというなら、色んなクエスト中の会話からVは民間人を殺す事は絶対にしないし、無関係な人間を巻き込む恐れがある時はそんな事は出来ないときっぱり言うタイプ
そして何より、Vにとっての殺しは仕事上の一つの手段であり目的ではない
最終的な判断はプレイヤーに委ねられるとはいえ、消すよう言われた相手を街から出る事を条件に見逃したりする選択肢が出るほどにはVはお人よし
そんなVが快楽殺人犯という真正のクズと同類に思えるという程殺人が許容できないなら何故このゲームを?と言いたい所ではある
そもそも、この仕事受けるときに「暗殺任務かよ……」って抵抗感表してるし、有罪確定してるのかも確認する選択肢あるしね
ただ、元を返せば目と目が合うだけで殺意を抱いて、更にそれを実現出来る銃が出回ってる世界が悪いとも言える
でも俺はお前が嫌いだから引き金を引くね。自分の息子を殺された母親の家に土足で上がり込む奴を生かしちゃおけねぇんだわ。
話を変えるけど、途中出てくる姉も弟が殺された事の意味を作り出すため、熱心に改宗?してたのかもしれないね。無差別殺人鬼を改心させるために生まれてきて、その使命を果たしたのだと
センスあり過ぎて嫉妬
みんな難しく考えてるなーと感心した
Vの視点から見れば始末しろという依頼を受けたから始末した
自分の目線で見ればコイツの自己満足の旅に付き合ってやる必要を感じない、こいつの死に際にめちゃくちゃ煽る選択肢もないし救われた気分で死んでいくのを眺めるよりさっさと始末したほうが楽、くらいの感想だった
Vがクズ?だから頭にテロリストが同居してしかも自分が侵食されるなんて目にあってるんだろ
まともな人間は傭兵なんてやってないって
こいつより余程やべーことやってるやつとかV含めて腐るほどいるのにこいつに関してだけ感情論丸出しで書き込む人多くておもろいな
描写が身近だから感情的になりやすいんだろうな
他の腐ってるやつは「お前腐ってるな、死ね」系の選択があったり「何が悪い」って開き直ってるやつが多いのに、こいつだけ最初に容赦なく始末しなかった後は変に守られてるというか、途中でVが能動的にこいつを始末するって選択ができないのがイライラするのは分からんでもない
実際はこいつだけじゃないんだけどね
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死刑囚。
武装強盗と殺人の罪で死刑判決を受けるが、その後刑務所でキリスト教に改宗。