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参照した英語記事によると、植民船アルキメデスがモーニングに改称されてヴォライに現れた時も船固有のトランスポンダー周波数はアルキメデスと同一だったとされている。
最初のアルキメデスの航路データを辿ればヴァルーン・カイの座標も割れそうだが、最終目的地は決めず、もしくはどこにも属さないLISTのような形で届け出ずに出発したならヴァルーン・カイの座標が公の記録に残ってない点に一応の説明はつくかもしれない
とはいえどうしてもチャンクスがノイズになってしまうが…
ちなみに旗艦モーニングは朝(Morning)ではなく追悼(Mourning)である。
追悼装置(Mourning Device)の名前も船から頂いたのであろう。
朝号とかどういうネーミングだって思ってたわ。
追悼装置っていうから事故犠牲者追悼の設備かと思ってたら、いきなりビーム発射するからなんでやんって思ってた。カタカナのモーニングデバイスでよかったんじゃ。。。
唐突に出てきた追悼装置のグラヴドライブ(リアクターだったかな?)もモーニング号のやつなのかな?
ガンダムで言うならオカルト路線に走ったジオン・ズム・ダイクン
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宗教団体としてのヴァルーン家開祖にして、グレート・サーペントの代弁者であり、ヴァルーン家初代議長。
元々は2190年に火星軌道から打ち上げられた植民船アルキメデスの一員だったジナンは、2191年に船がカヴニク星系に向けて最後のグラヴ・ジャンプ中に、彼がグレート・サーペントと呼ぶ存在に遭遇したと主張するようになり、グレート・サーペントによって宇宙が呑み込まれる際にサーペントに仕える者だけが生き残るという(宗教全般、特に一神教においてはベタな)終末論を掲げ、カヴニクへの入植者達の中から信者のコミュニティを築いた。
ジナンとその一派はカヴニク植民地評議会を乗っ取り、カヴニクへの入植者のコミュニティ全体を国家とし、彼らの名称を「ヴァルーン家」、彼らの入植地であるカヴニク I-bを「ヴァルーン・カイ」、そして彼らが搭乗して入植した植民船アルキメデスを「モーニング」と改称した。
その後2230年にヴァルーン家はモーニングでヴォライ星系へ現れ、有人星系の国家・企業に対する友好的外交を結んだ。その後10年間は平和な時が流れたが、その裏で彼は牙を研いでいた。
2240年、ジナンは突如としてヴァルーン家を率いて有人星系全体に対する聖戦・サーペント・クルセイドを宣戦し、コロニー連合や自由恒星同盟など有人星系のありとあらゆる派閥とその住民に対し戦闘を仕掛けた。2263年にジナンが死亡した後、息子であるジャレク・ヴァルーンがその跡を継ぎ、ジナンの遺体はダズラの鱗の城塞に埋葬されたとされる。
https://imgur.com/qABk99U
また、彼の活動していたとある時期に「巡礼者」と呼ばれる人物と出会い、そして戦いとなった事が主人公が辿った記録に残っている。
巡礼者はジナンにある予言を授けたが、それはグレート・サーペントの信仰と相反する内容だったためジナンはためらうことなく巡礼者を倒した。それにもかかわらず巡礼者は何度もやってきて、彼らは120回以上の惑星の巡回の中で4度戦ったとされる。巡礼者は「ジナン、この4回の戦いを覚えておけ」「この120回の巡回を覚えておけ」と最後に伝えたが、ジナンはこれをグレート・サーペントへの冒涜とみなし、巡礼者にとどめを刺したという…。
Shattered Spaceをクリアした船長「これホントかぁ?」